《事例②》東海薬品
東海薬品は、中堅ではあるものの、堅実な経営を続けてきた医薬品会社です。
創業は古く、明治末期で、現在の社長は4代目になります。総合医薬の道を取らず、医科向けに専門分野に特化してきました。しかし、医薬品業界は世界的な再編の波、また膨大な開発費用の負担など、非常に厳しい時期を迎えています。
現在の社長である浜口氏は、先代社長の次男で、まったく家業を継ぐ気はありませんでした。もともと大学も理論物理学を専攻しており、そのあと大学に残り、学者の道を歩んでいました。30代後半に、専務をしていた浜口氏の兄が急死し、急遽先代の父親に呼び戻されたのです。
彼は、医薬品とはまったく違う分野の研究をしており、また経営は医薬品の知識を学んだからといって簡単にできるものではありません。最初は固辞していたものの、父親の説得で東海薬品に入社せざるをえなくなりました。
先代の浜口氏は、息子に安心させるために、「経営や医薬の知識より大切なのは、社員のことをどれだけ考えてあげられるかだ」といいました。
浜口氏はそれを実践するために、ほとんどの部署のヒラ担当者として半年ずつ経験をしていきました。30代も後半になれば、他の若手社員より体も動かなくなるし、いわんや社長の息子ということで、部門の管理職は腫れ物に触るように扱おうとしました。浜口氏はそれを一切拒否し、まったくの下働きを経験していったのです。
その後、浜口氏は45歳で社長になりました。まず、彼は医薬品会社としての使命をまっとうするために、“企業理念”を含む自社のミッションを設定しました。と同時に、海外の医薬品企業がたどった道を観察し、将来的に激烈な競争が訪れることも予測し、未来に存続できる企業になるために、“自社のあるべき企業像”をビジョンとして設定しました。
これらミッションやビジョンは単に上意下達するのではなく、ミッションについては社員自身にとっての意味を、ビジョンについてはそれの実現方法を徹底的に考えさせました。社員がこの2つの理解を深めるまで約3年間かけて、さまざまなプログラムが実施されました。3年間で一人の社員が参加したワークショップは、平均5回に及びました。
医薬品会社は研究開発力が独自存続の条件であり、小さな分野であれ、国際的な競争力をつけることに専心しました。そのためには、「研究開発分野のみならず、全社的に知識創造的な組織風土を根づかしたい」と考えました。
人材教育には力を入れ、それも単なる集合研修や現場に任せっぱなしのOJTにはせず、仕事と知識創造を行う場面を交互に行いました。
「現場で実践し失敗したことを踏まえ、研修では知識面を補い、また考えさせる。それも、さまざまな部門から集まったメンバーが多様な観点から知恵を出し合って、刺激しあう」――そのような教育方法を継続して続けました。
働いている社員は、会社のミッションとビジョンをよく理解しているため、あらゆる判断を求められる場面でも、それらに基づいて個人が判断できる権限を与えられていました。その判断は、まず個人が「私はこう考える」と上司に相談したうえで、適切な意思決定者のところにのぼって行いました。事の重大さによって、意思決定者は変わるのですが、必ずその問題が発生した現場の担当者は上司から「君はどう考えるのか」と問われました。もちろん、最終的な判断の結果は、この現場担当者に伝えられます。このようなことが頻繁に起こっているため、社員たちは判断にあたって、複雑な背景や条件があっても、ミッションやビジョンの価値に基づいて判断を行える能力を身につけていきました。
社員たちの会社組織への参画意識は高く、営業・MR・開発・製造から、本社スタッフにいたるまで、新たな医薬品に対する貢献の意識が満ち満ちていました。
その結果、東海薬品が専門とする分野で、画期的な新薬を開発することができました。これにより、難病とされていた患者たちが多く救われることになります。
社員たちの気持ちは、そのような世界的な貢献に自分が一緒にタッチしていたことへの“誇り”でいっぱいでした。
しかも、東海薬品は、“社内の一致協力”の風土だけがあったのではなく、さまざまなマネジメント上のサポート体制を充実させていました。
人事制度については、米国型の職務給制度をブロードバンドと呼ばれる、運用しやすい方法にアレンジして導入していました。年功序列は完全に排除し、若くても重要で責任ある仕事をする人には、高いポジションと報酬を用意しました。そのため、社外の医薬品会社から優秀な人材を確保することができていたのです。
また、その職務をどれだけ完遂したかを評価する制度を設けていたため、「同様のバンドにいる、同じクラスの仕事をしている人」であっても、成果によって評価結果が著しく異なり、報酬額も厳然とメリハリがつけられていました。
つまり、与えられた役割に対して何年も成果を出せない場合は、下のバンドにおろされたのです。
ただし、常に敗者復活があり、過去の失敗が将来に影響を与えることはありませんでした。このような方式をとっているため、社員は常に“チャンスと脅威”を感じていたわけです。
さらには、業績評価を納得感がある状態にするために、管理会計の制度は高度にシステム化されていました。あらゆる業績数値がタイムリーに把握でき、階層に関係なく確認することができました。経営施策はもちろん下に対してオープンでしたが、東海薬品ではそれに加え、予算数値や実績数値も常にオープンになっていました。普通なら、予算数値や実績数値は高度な企業秘密であるため、一般社員に明かされることは少ないにもかかわらずです。
数年後、東海薬品は、業界屈指の競争力を誇る会社へと成長を遂げました。
何が2つの会社の命運を分けたのか?
経営者の質という面で、とくにファースト・コーポレーションの瀬川社長の長男が、東海薬品の浜口社長よりも劣っていたとは思われません。
瀬川社長の長男は、MBA留学、銀行での修行、若くして主要なポストを経験するなど、むしろ、浜口氏よりもはるかに、「経営者育成の王道を歩んできた」といえます。
それでも、2つの会社の格差は歴然としています。瀬川社長の長男は、社員の「ワークモチベーション」を見落としていたのです。
※この内容は2003年に書かれたものです。
- ミッション
- ここでは会社や組織の「使命」を意味しており、会社のミッションは企業の存在意義を示す機能を果たし、各組織のミッションはその組織が担う役割を意味する。
- ビジョン
- 会社の10年後の姿を事業規模、事業形態、知名度、組織や従業員の能力などを期待値として現わしたものである。会社が「ありたい姿」を示したもの。ただし、最近は企業環境の変化が激しく、10年後を想定するのは難しくなってきている。
- ワークショップ
- 参加者の参画度が高い研修会や研究会のこと。単なる講義型の研修ではなく、自分たちが考えながら策定していくタイプの学習方法。
- ブロードバンド
- 従来の米国型の職務給は職務グレード(等級のこと)とそれに対応する給与が非常に細かく分類されていた。ブロードバンドはこれらを大くくりにまとめ、従来より広い職務グレードをもつ。
- 管理会計
- 財務会計に対して、管理会計は経営上の意思決定をするため、また組織内のマネジメントをするために行う会計方法であり、代表的な管理会計は予算制度である。そのほか、原価計算や業績評価なども管理会計の一種である。