グローバル人材の行動として、前回は「どれだけ仮説を持って行動できるか」と「実際の行動量をどれだけ増やせるか」の2点が重要なポイントであることを指摘した。今回は、このうち「どれだけ仮説を持って行動できるか」という点について掘り下げていく。
グローバル人材といったとき、まず思い浮かべる仮説構築能力は、「現地ニーズ」に関する仮説を構築する力である。この件について、よく例として出されるのが、サムスン電子の「地域専門家」制度である。サムスン電子では一部の社員を選抜し、海外展開先の現地に送り込む。このことだけ聞くと普通の制度であるように思えるが、実はこの制度の肝は、派遣期間中には給与は与えられても仕事の義務はないということである。つまり、仕事はしなくても良いから、とにかく生活してみて、現地の慣習や文化に溶け込んでくれ、ということなのだ。サムスン電子からすると、この「地域専門家」制度で育成した人材が、「現地ニーズ」の発掘などを行ってくれることを期待していると予想される。このサムスン電子の例では、仮説構築力とは現地に入り込むことによって得られる「現地ニーズ」に関する仮説を構築することであると言える。
このような視点はグローバル人材にとって重要である。しかし同時に、「現地ニーズ」という言葉が過度に強調されすぎるきらいもある。つまり、「現地ニーズ」という言葉が強調されすぎてしまうことによって、製品・サービスのオーバーカスタマイズが発生してしまうのではないかということである。ここでいうオーバーカスタマイズとは、「現地ニーズ」向けのカスタマイズを進めすぎてしまうことによって、グローバルレベルでの自社製品・サービスの共通性が失われてしまうことを指す。
そもそも、グローバル展開をするということは、「現地ニーズ」に合わせて製品・サービスを展開することであると同時に、何らかの共通点を持つ自社製品・サービスをグローバルレベルで広めるということも意味している。しかし、現地特有のニーズに合わせてカスタマイズすればするほど、グローバルレベルでの共通化による効果は薄れてしまう。そのため、グローバルでビジネスを展開するには、現地ニーズに対するカスタマイズと、グローバルでの共通化という二律背反する要求のバランスを取るという側面が重要となる。
この意味で、グローバル人材に求められる「仮説を持つ力」とは、ひたすら「現地ニーズ」に関する仮説を持つことだけではない。グローバル人材は「現地ニーズ」に対する知見をもった上で、グローバルレベルでの自社の方向性等も加味し、その「現地ニーズ」にどう応えるべきかの仮説を持っていなくてはならないのである。
例えば、マクドナルドはインドにおいては牛肉を用いないマハラジャ・バーガーという商品を販売している。インドでは牛を聖なる動物とあがめる人々がおり、彼らに販売するためには牛肉を一切用いないマハラジャ・バーガーを作る必要があった。まさしく、マクドナルドはインドの宗教的慣習に基づいた「現地ニーズ」に対応したと言える。一方で、マクドナルドは他のメニューについてはグローバルで共通したものを展開している。ハンバーガーとともにセット販売するフライドポテトから、ハンバーガーに用いるパンに至るまで、グローバルで展開しているものを用いている。インドでは主食としてナンが食べられるが、ナンを用いた商品や、カレーを用いた商品をマクドナルドは販売していない。このように、マクドナルドはグローバルレベルで共通化できるものは可能な限り共通化し、インドの食文化への対応も対応するところと対応しないところを明確に区分している。
グローバル人材として「現地ニーズ」に通ずることは確かに重要であるが、同時にグローバルレベルの共通化についても常に念頭に置いておく必要がある。それゆえ、海外現地の市場を調べる際には、ただ単純に現地について調査するだけではなく、「これらの市場に対応することは自社の戦略に適合的か」、「現地ニーズに対応した製品・サービスを展開した場合、既に展開している製品・サービスと共通化できることはないか」、「すでに展開している製品・サービスから、現地ニーズに対応するためにどうしても変えないといけない部分はどこなのか」等の視点を考慮した仮説をもって行動しなくてはならない。
近年、グローバル人材という言葉が日本企業の間で叫ばれるようになった背景に、絶対的な優位性が崩れてきたことがあることは既に第一回で指摘した。絶対的な優位性を持つとは、グローバル共通の製品・サービスで優位性が確保できるということであり、「現地ニーズ」に対応する必要性が低いということである。しかし、その絶対的な優位性が崩れ始めたことによって、日本企業は「現地ニーズに対応しなくてはならない」という方向に大きく舵を切り始めている。そして、そのような風潮の中で、グローバル人材はグローバルレベルの共通化という目線も本来併せ持つべきであるという点が忘れ去られえているのではないだろうか。グローバル人材には、「現地ニーズ」をフラットな目線で評価した上で、グローバルなレベルにおける共通化戦略と天秤にかけることが要求されているのである。